今回はちょっと雑談というか、コラム的なお話をしたいと思います。
平昌オリンピックが終わり、オリンピックフィーバーもずいぶん冷めてきたこのごろですが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
いつもと変わらないですね。そうですね。
今回のオリンピックで、ロシアのチームが「OAR」と表記されていて、なんじゃこれと思ったんですが、
「オリンピック・アスリート・フロム・ロシア」
ということだったそうで。
いや、長い名前をわざわざご苦労さんです。
ロシアの国家ぐるみのドーピング疑惑によって、つらい思いをした選手たちがたくさんいたと思われます。
残念でなりません。
しかし、そもそもドーピングって何がまずいんでしょうか。
薬物が体に悪いから?
卑怯だから?
不公平だから?
いろんな答えがあるとは思うのですが、マインドテニス講座はこう考えます。
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ドーピングがなぜ悪かと言えば、それを一言で言うと、
「楽しくなくなるから」
なんです。
どういうことか。
スポーツって、ルールがあって初めて成立するわけです。
テニスなら、コートの広さ、扱うボール、使える道具など事細かに規定があって、その制約の中で、みな必死で戦う。
それが楽しいわけです。
ご存知の通り、テニスではボールを自分のコートで2回バウンドさせてしまうと失点です。
それを誰かが急に、
「今からおれだけは2回バウンドさせてもいいことにする。」
と言い出したら、これはもう楽しくもなんともないわけです。
子どものころ、特に男性ならこんな経験はなかったでしょうか。
公園で草野球をしていて、みんな仲良く楽しくやっている。
ところが、急にガキ大将みたいなやつが、三振した後に、
「今のはナシ。おれにもう一回打たせろ」
と言ってくる。
これを許してしまうと、もう楽しくもなんともないわけです。
だんだんつまらなくなってきて、
「じゃあそろそろ帰ろうか。」
「おれ塾行くわー。」
というやつが出てきて終了。
スポーツにはルールがきちんとあり、それが守られるからこそ楽しいのです。
ドーピングというのは、「それをやらない」とみんなで決めたルールに違反する行為です。
したがって、ドーピングはスポーツを楽しくないものにするということです。
本来スポーツは楽しむためにするもの。
「スポーツ」という言葉の意味が本来、「余暇」とかそれぐらいの意味なのですから。
ドーピングという違反行為によって、楽しいはずのスポーツを自分で楽しくなくしてしまうとはあまりにも愚かですね。
まあ、ドーピングをしようとする人間は、もはや楽しもうという気持ちすらないのでしょうけど。
このように私自身はドーピング違反を、「スポーツが楽しくなくなるから悪なのだ」と考えています。
ルールは守られなくてはならないのです。
私は自らが勤務するテニススクールにおいて、子どもたちにルールをきちんと守るよう徹底して指導します。
それはテニスのルールのみならず、生活面でもそうです。
あいさつをきちんとする。
返事をきちんとする。
自分勝手な行動で人に迷惑をかけない。
守れていなければ叱る。
大人はその模範とならないといけないのですが、最近は大人も、改ざんとか、隠蔽とか、虚偽の答弁とか卑怯ですよね。
大人が模範を示せないでどうするよといつも感じています。
まあ、これはスポーツと関係ないから、話が飛躍しすぎですね。
ともかく、ルールがあるからスポーツは楽しいんだということを再確認しておきたいと思います。
管理人は「ボクシング」が大好きなのですが、何でもありの「総合格闘技」というのはあまり魅力を感じません。
もちろん、やっている選手たちのことはどんな競技であっても敬意をもって見ているのですが、私にとっては、ルールの制約が多いボクシングの方が見ていて楽しいのです。
まず、当たり前ですが、蹴ってはいけない。
頭突きや、肘打ちをしてはいけない。
リング上でバーベキューをしてはいけない。などなど。
華麗な身のこなしで、限られた場所にパンチを繰り出して相手を倒す。
その高度な技術に酔いしれてしまうので、なんかこう、もみくちゃというか、取っ組み合いの格闘技はあまり面白くないんです。
波動拳とか、昇龍拳とか派手な技が出るなら見るかもしれませんが、取っ組み合いの格闘技はイマイチ見ていてもそのすごさがよくわからんわけです。
素人だから。
選手たちはもちろんすごいことをやっているんですけどね。
ドーピングの話に戻るとですね、中にはすごい暴論を言う人がいるんですよ。
じゃあ、もういっそのこと、ドーピングを解禁して、自由に薬物使えるようにしちゃおうよ。
全員が平等に薬物にアクセスできる環境なら何にも問題ないんでしょという人がいます。
恐るべきことに、一流と言われるスポーツ選手の中にもこのような主張をする者がいます。
しかし、これはあまりにもナンセンス。
なぜかというとですね、スポーツ選手って、社会的にはとても名誉な職業なんですよ。
子どもたちのなりたい職業で「サッカー選手」や「野球選手」は常に上位。
子どもたちの憧れでもあり、また大人たちにとっても、見る者を楽しませてくれるエンターテイナー。
「尊敬する人物は?」
と人から聞かれて、歴史上の偉人ではなく、スポーツ選手の名を挙げる人もたくさんいるでしょう。
それがですよ、スポーツ選手は薬物を平気で常用する人たちだという風にカテゴライズされたらどうなりますか。
スポーツ選手の評価は地に落ちます。
親は子どもに言うでしょうね。
「スポーツ選手にだけはなっちゃだめよ。」って。
ドーピング解禁論なんていうことを自ら唱えるスポーツ選手は、それが自らの首を絞める行為だとなぜ気づかないのでしょうか。
想像力を著しく欠いています。
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ドーピングはスポーツの世界を根底から崩壊させる危険を孕む絶対悪です。
これがマインドテニス講座の見解です。
よくよく吟味あるべきものなり。
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